小保方さんの件について研究者と一般の人との間の乖離がはげしい。
科学者クラスタの小保方アレルギーは激しいし、呆れ果てた末、最近は傍観気味ですらある。なんでそうなるか考えてみると、私自身も科学は結果だ結果だと言いつつも、本当のところプロセスの重要性を痛いほど感じているのだ。
結果だけを追い続ける姿勢では、なかなか長期にわたって研究を続けていく事は難しい。何より、結果だけを求めるなら、研究者なんて割に合わないし、つらいだけだ。
結局、重度のワークホリックということになる。(めちゃめちゃ知的にも肉体的にも重労働の割に、報償も限られている。他の職業でいいなら、ベンチャー経営者なら、うまくいけば、報償無限大になるかもしれないのだから。)
じゃあなんで科学者をやっているのか?
プロセスが楽しいからだ。結果が重要といいながら、知的好奇心を満たすプロセスを楽しんでいるのだ。だからモチベーションを維持できる。
(金銭的報酬も少ないのも逆にいいのかもしれない。ダニエル・ピンクの著書参照→モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
結構、研究プロセスを重視しているわけだ。
では何故、小保方さんが科学者クラスタに総スカンなのか?
彼女のこれまでの行動を見ていると、彼女は研究プロセスを恐ろしく軽視する態度を見せ続けているのだ。これが、普段は温厚な科学者クラスタに火をつけているように感じる。
逆に言うと、プロセスではなく結果のみの追求で良い一般ピープルにはこれは理解不能だろう。給料が貰えればそれでよい。効率的に仕事を終える。こういった考えをとると、当然STAP細胞があるか無いかが問題であり、研究プロセスの詳細などどうでもよいのかも知れず。
小保方さんの発言を聞いていると、酸処理した細胞が光った(Oct4-GFP発現?)ということのみでSTAP細胞の作成に成功したと主張している。
彼女にとってはそれで良いのかもしれないが、科学者クラスタはそれでは気が済まない。
むしろ、STAP細胞のTCR再構成や、テラトーマの形成といった、論理を構築する研究プロセスの方が重要なのだ。STAP細胞があるという帰結への論理的な道筋が綺麗に示されているかどうかということだ。
という意味では、小保方さんと科学者クラスタがわかり合う日は決してこない。
それは、小保方さんの研究者生命は終わったということでもある。

「論文はどうでもいい」という一般人が多すぎる
返信削除それが存在を裏付ける大事なものだというのに