迷走は止まらない。飽きたけど
マスコミの報道やSNSの反応を見てると
もの凄く違和感を感じることがたまにある。
論文はまずかったかもしれないが、STAP現象はあるかもしれないという。
理研自体が同じようなことを言っているから始末が悪い。
STAP細胞なんて無い。
何故これがわからんのだろうか?
科学者には立証責任があるのだ。
論文に大きな過失があれば、その論文を信じる理由はないのだ。
今やその論文が崩壊し、STAP現象は、全く立証されていないものになってしまいました。
まして再現性を誰もとれていない。
”それでも、STAP細胞の存在が否定されない”
この論理が許されるなら、
UFOもあるかもしれないし、霊的なものもあるだろう。
”無い”という証明のできないものは全て”ある”ということになる。
もう既に科学ではないのだ。
小保方さんは全く悪びれない。
3年間で2冊の実験ノート。
日付すらあいまい。
全く実験していないだろう。
にも関わらず、不服だそうだ。
理研はこれで当分、泥沼にはまったままだろう。
ところで、倫理教育と称して、若手研究者の研修プログラムとか発案するのだけは
マジで勘弁
俺たち悪くないよね〜

0 件のコメント :
コメントを投稿