2014年4月29日火曜日

全員捏造犯として疑われる時代

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小保方さんの件は何故か石井俊輔調査委員長に飛び火して、なぜか山中教授まで巻き込もうとしている。


ネットによる全員調査の威力がすさまじいことはわかったが、これをあまりやり過ぎると将来に禍根を残すかも。


バンド画像を扱っている分子生物学や、医学系の研究室主催者は戦々恐々でしょう。本人がそのような操作をやっていなくても、その研究室の誰かがPhotoshopを使ってショートカットを行っている可能性はあるわけです。これから逃れるすべは、簡単ではないでしょう。

最近では、ジャーナル側のチェック体制を厳しくしようという試みも行われるようになったようで、投稿されてくる論文を元FBI捜査官がチェックするという仕組みを持つジャーナルもあるようです。実際、日本の研究者でそのジャーナルに投稿して、切り貼りが発覚し、そのラボ主催者は相当気分を害したそうですが、確認したところ筆頭著者である留学生がコントロールのところでバンドを切り貼りしていたそうです。

その例では、ラボ主催者の教授は結果的に助かったことになります。危うく、改ざんだ捏造だという騒ぎに巻き込まれる可能性さえあったわけですから。

つまり、あるラボから改ざん風のデータが発見されたからといって、そのボスを責めるのは酷であるということです。石井元委員長はその例だと思われます。

話はちょっと変わりますが、

一つのデータだけを見て論文を判断する危険性について。


論文に出ている情報をすべて真正であると信じる事自体に違和感を感じています。

結局、その研究が正しいかどうかはひとつのデータだけで言うことはできないし、一つ間違っていたから全部信用ならんということもできない。結局、その研究(論文)を読んだ時に、個々の研究者の洞察力が試されているわけである。Nature論文であろうが信用しなければならないことはない。

単なる切り貼りについてはその例だけをとって論文全体が捏造であるかどうかを言うことはできない。単純なミスであることも多いだろう。
小保方さんの例でもそうであるが、改竄や捏造は簡単には認定できない(法律的な意味ではなく、純粋な意味で)。

心象的には完全に黒と思える例でも(小保方さんに関して私の心象は真っ黒だ)。
小保方さんが行った切り貼りや博士論文からの間違った転用に関して捏造であると言い切ることはできない。捏造というためには、やはり意図的に悪意をもって行ったかどうかが重要になる。(まぁ難しい話です)

多くの切り貼り・改ざんはそれ程重要でないデータの部分で行われる。例えば、ポジコンやネガコンなどのコントロールにおいてである。これは、根幹となるデータは得ているけれども、時間の問題や何らかのプレッシャーが原因で急がなければならない時に起きているのかもしれない(モラルの欠如もあるかもしれない)。それにしたって、結論自体が間違っていないことも多い。こういう例では、捏造者は単なるショートカットのつもりかもしれない。

結局、部分部分の図における改ざんの悪意について白黒をつけることは不可能に近い(本人が認めない限り)。
ということはやはり、科学者としては、研究そのもの、論文そのものを評価する姿勢というものが肝心である。

短期スパンと長期スパンの評価の難しさ

で、話は一周して戻ってくるわけであるが、
結局、ある研究を評価するかどうかは短期的には、個々人の見識つまり見抜く目に依存することになる。長期的には、追試および再現性を経ることでのみ研究は証明されるのである。

ということは、その研究者の評価というものは短期的には非常に難しいということです。眼力を必要とするわけです。にもかかわらず、実際の評価はどのような雑誌に論文が掲載されたかという点に置かれてしまうのです。


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